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分析家の独り言(今年を振り返って:成長)

去年3月、ここ滋賀県大津市にラカン精神科学研究所とともに住まいを移し、約2年足らずが過ぎた。

人は生き方を変えるように住み替える。

確かに私にとって大きな転機であった。

おそらくまたここ何年かのうちに転居する。

自分の歳を考え、老後を視野にいれ終の棲家を探す。

今年1年、いろいろな人との出会いがあり勉強させてもらった。

「自分以外の人には出会わない」と言う。

来年また自分を知った分だけ、これまで出会えなかった人(自分)と出会えるだろう。

どういう人(自分)たちとの出会いがあるのか楽しみである。

自分を知り成長した分、程よい親との距離がとれる。

支配するされるでもなく、依存するでもなく、私は私として言うべきことは言い、助けてくれと言われれば私の出来る範囲でする。

決して無理はしないし、優先順位を見誤ることもない。

親に人にどう思われるかを気にし、好かれることを私のとる言動の基準にして動くことはない。

それらもクライアントの分析を通して考えさせられ学習した。

クライアントの語りを聴きながら、クライアントと自分は全く違うと思っていても必ずそうとは限らない。

本当に自分にクライアントと同一の部分はないか、違うならどこがどう違うか、それらを常に検証し自分を見つめ知っておくこと。

この視点がないと、自分の無意識を知らぬ間に刺激され、心身に影響がでる(逆転移する)ことがある。

クライアン達は私に、「よくこんなしんどい仕事をしますね」と言う。

自分を常に見張っておく必要があり、そこには未熟な自分や見捨てられ不安や恐怖を味わった悲しい自分がゴロゴロしている。

そういう自分と出会うことはしんどい大変なことかもしれない。

それでも楽しいと感じられ、やりがいがある。

クライアントと私自身の成長が楽しみだからだ。

我が師、惟能氏は言う、「分析が目指すのは精神の成長である」と。

個人の成長と日本社会の成長を願い、今年を心静かに送り、新しい年を迎えようと思う。


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分析家の独り言(自分を振り返って1:対人恐怖だった私)

この世に生まれたばかりの赤ちゃんに書き込まれていくのは、その母親の情報、自我である。

すると、この母親のなかにどういったものがあるのかが問題となる。

例えば母が、人を恐がる=対人恐怖症であったとすると、我が子も一人の対象であるため、この子を恐れる。

対象と関わるときの基本的姿勢は、恐い恐れるとなり、当然人との交流を避ける。


インテグレーター養成講座のテキストの「自己愛」を読み返し、ふと思い出し考えた。

私はギリギリ社会適応してきたが、基本的には対人恐怖だったなぁと。

学生時代は授業で先生に当てられないように願いながら学校生活を送っていた。

人前で話すことは大の苦手だったし、友達も少ない方だったと思う。

中学から部活をしていたので、その仲間はいたがそれが友達といえるものだったかは今となれば疑問である。

ただ同じ部活での時間を過ごし、バスケをそれなりに楽しんだが、私は本心を語ることはなかった。

自分が抱えているしんどさは、同じ世代のこの人たちにはわかるまいと決めていた。

家で親に「ああしなさい、こうしなさい」「それをしてはいけない」と縛られ、したくもない宗教を強要され、いかにして家に居ないようにするかを考えていた。

登校拒否ならぬ帰宅拒否か(苦笑)。

その逃げ場が部活だった。

小さい頃から、度々ではないにしろ叩かれることもあった。

育つ過程で「人とは関わらないがよい」、「人は恐いもの」と学習した。

私にとってがんじがらめの家から出られた大学時代があったことは大きかった。

この時期になってやっと、友達と呼べる人たちができた。

それでも、それまで親に監視され、命令指示されてきたことは私の中に居座り続け、何かをしようとするとき、心の中に住み着いた両親にいつも見張られている感じが常にあった。

それと戦いながら、時には私が勝利し、また時には親に負け、一応の自由の中4年間を過ごした。

そのまま家に戻らず就職でもすればよかったのだが、親は大学を卒業したら私は家に帰るものと決めており、私はそれに逆らうこともできず帰るしかなかった。

まだ、自分の力で生活していくという自立心は私には育っていなかった。

親に呑み込まれ、そこから脱出するほどのエネルギーと自我は、大学時代の4年間では取り戻すこともつくることも出来なかった。

あの頃に分析と惟能創理氏に出会えていれば・・・ 私のその後も続く苦悩は随分軽減され、全く違った道が開けていただろうにと思う。

実際に出会えたのはそれから14年も後のことになる。

分析を受け、親のロボットだった自分を自覚し、自分を取り戻すために10年以上の時間がかかった。

それでもあのまま自分を持たずに、しかし持っているという錯覚の中でもがき苦しみ続けたかと思うとゾッとする。

あるクライアントは、「おまけの人生、二度目の人生」と言ったが、私にとっても今が「生きなおしの人生、取り返しの人生」である。

「自分が望んでもいないのにこれほどの苦悩を味あわなければならないのは理不尽だ」

だから私は、「自分の人生をこのままでは終われない」と思ってきた。

「いくつになっても生き直せるんですね」と言ったクライアントの言葉が心にしみる。


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分析家の独り言(幸せになる:目標・理想をもつ)

クライアント達は、耳にたこができるくらい「オールOK」とともに「言われたことだけ(正確に)してください」と聞いている。

しかし、これを実行するのは簡単ではない。

最初私は「だまされたと思って、黙って三年オールOKしてください」と言う。

「しかも、敏速かつ的確に、継続して」

折に触れ、分析や講座、子育て相談室で説明していくため、クライアントは頭でなぜそうすることがいいことか理解していく。

しかし頭でわかったことと、実際に出来ることは違う。

そこには、オールOKする母親のその母との無意識の葛藤がある。

クライアントに、「子どもに言われたことだけする」という言葉が本当に理解されるまで10年かかる。

私は最初から同じことを言い続けている。

クライアントも言う、「何年も前から聞いています」と。

何度も言うが、言葉としてわかることと、実際に出来ることとは違うのである。

何年も分析を受け、子どもに対応しているあるクライアントは、「子どもに言われたことだけするという言葉が本当に理解されるまで10年かかる」と話したところ、「よかった、私だけじゃないんですね」と言った。

分析を受けても、講座などで理論を聞いても、なかなか「オールOK」や「言われたことだけする」ということが出来なくて、「何で出来ないんだろう」、「私がダメなのか」・・・ と自分が嫌になることがある。

それでも、知ってしまった限り、今更やめることも出来ない。

辛いながらも、「オールOK」することが真理であるとわかっているからだ。

そうでなければ、わざわざこんなしんどいことを誰もしようとは思わないだろう。

だから本当に子どもに「オールOK」をするには、母親が分析によって自分の無意識(親との愛と憎しみの葛藤)を知っていくことが必要になる。

子育ての場面で、母自身が育てられた養育状況が再現される。

母親自身の養育状況が幸せな(オールOKされた)ものならいいが、多くの人が自分の言いたいことが言えず、要求が受け入れられず、無視され、放っておかた、叱られた、叩かれた・・・ というものであれば、子どもに「オールOK]するのは葛藤に満ち満ちてしまう。

私も「オールOK」が身につくまで、何年かかったことか。

10年どころではなかったのではないかと思う。

やってもやっても、失敗してしてしまう。

自分で自分が嫌になる。

そんな中で思ったのは、多分私は人より欠損が大きいのだろう。

だから人が三年で出来ることが、その2倍3倍かかる。

悔しいけど仕方ない、そんな自分ならそれも受け入れてやるしかない。

それ以外に子どもと私の明るい未来はないとわかっていた。

そして、私にはインテグレーター(分析家)になるという目標があったため、人に「オールOKしてください」と言って、自分は出来ていませんでは通らない。

それではインテグレーターになる資格はないと思っていたから、この私にも努力し続けられたのだと思う。

目標・理想(なりたい自分という自我理想)を持つことは大事である。

この私に出来たのだから、やる気さえあれば誰にも出来る。

幸せになるために、取り組むだけの価値はある。

私は幸せになりたかったのだ。


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金谷氏今月のメッセージ (平成21年12月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。

テーマ「言葉の力」

 精神分析は言葉で治療をすると何度も言ってきた。これも言葉で表現している。
言葉を説明するのにやはり言葉を使う。言葉が無ければ何も分からないし、何も出来ないと言うことになる。人間に取っては一番大事なもので、絶対に必要なものである。それほど大切なもので必要なものを人間は、有効的に使っているだろうか?

 人を非難したり、悪口を言ったり、うそをついたり人間の心を無神経にも傷つける言葉、傷ついた人達が分析におとづれる。そこには親から「刻印」とも言うべき言葉を埋め込まれ、その言葉に苦しめられていることが浮かび上がってくる。

 治療は、この言葉を見つけるべく夢分析を使いながら探っていく。そして原因に行き当たれば、激しい情動と共にクライアント自ら語る。その状態で言葉にしたときすっきりし、自ら気付き受け入れて終わる。

 言葉はこれほどまで苦しみ心に打撃を与える。これは言葉が悪く働いていると言うことである。そうであるならば逆に良くなる力もあるのではないか、と思っていたがそれを証明する結果に出会えた時はっきりと分かった。

一般的にも恩師や先輩、友人・親からの一言が自分の人生を変えたと言う事を経験した人も少なくないだろう。また、自分自身を奮い立たせ励ます「言葉」を持っている人もおられるだろう。俗に言う「座右の銘」である。
 因みに小生の座右の銘は「絶対に諦めない!/ネバーギブアップ」である。聖者といわれる人は必ず言葉を残している。イエスは「山上の垂訓」を残し、お釈迦様は残されているお経全てに語られている。日本では戦国武将が旗印に文字を掲げた。今年の大河ドラマ「天地人」に出ていた上杉景勝の執政「直江兼続」は「愛」の文字を旗と兜に施していたのは記憶に新しいところであろう。

 又、その武将が死ぬ時「辞世の句」を読んだことは有名である。吉田松陰の歌は「親思う心に勝る親心、今日のおとづれ何と聞くらん」親の子供を思う心の深さを読んだものである。

こうして言葉で存在を示し気持ちを伝えている。戦場では、士気を鼓舞するのに役立ち「辞世の句」では、自分がどう生きてきたかを語っている。

今回EXILEがアルバムを出した。その中にマニフェストが入っていた。実は今年の初めに今年60歳になって生まれ変わる時期に何か自分のマニフェストを作ってみようと思っていた。6月頃に頭の中では出来てはいたが、誕生日に発表しようと思っていたらEXILE」が先に発表したのを見たとき、まったくとは言わないが自分が考えていたものと同じであったことに驚いた。僭越ですがここに披露してみたいと思います。小生のマニフェスト

1、幸せな自分をより幸せに向かい幸せな人を造っていく

2、夢を諦めず追い続けて行く

3、全て愛が必要、死ぬまで人を愛していく   である。

EXILEのマニフェスト

  1、「LOVE」愛を信じる愛を基準にする

  2、「Dream」夢を追う夢を応援する

  3、「Happiness」幸せに生きる幸せを共にする  である。

さすがEXILEは上手く作っている!

なのでこれを使わしてもらおうと決めた。この言葉通り生きていく。生きた言葉を使える人間を目指して、分析に磨きをかけていこうと心に誓った。

                 インテグレーター 真理攫取

金谷精神療法研究所


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分析家の独り言(分析により自分を知る、自分を生きる)

子どもの不登校、ニート、ひきこもり、非行等、その他何らかの問題で分析に来られる。

それは母親である場合が覆い。

今、目の前の子どもを何とかしたい。

様々なところへ行ったが、これといった変化・進展もなく、何年か経過した状態の場合も多い。

分析の初めは、クライアントから子どもの状態を聞き、その子どもへの具体的対応法や、なぜそういう状態になったかを理解してもらう。

子どものことを話す母親は、子どもの何らかの問題は子どもの問題ではなく、自分に何らかの問題があると薄々感じている人もいる。

分析的に表現すれば、母親がその親との葛藤(愛と憎しみ)に未解決で、そのことを無意識に抱えながら子育てした結果、今の子どもの問題を生んだということである。

分析を始めると、子どものことと共に自分の親のことが語られる。

そうして母親は自分と子どもの関係と、自分と自分の親との関係を見ていく。

そこに共通点が見えてくる。

母親自身も親に言いたいことが言えなかったり、親の顔色を見たり、親の愚痴を聞かされて来ていたり、自分を否定されていたり・・・ している。

そのことが母親自身嫌だったはずなのに、その嫌なことを我が子にしてきた、その結果が今の子どもの状態であると気付いていく。

そういう意味で、子どもの問題は、その子を生み育てた親の問題であると言える。

それに気付き、自分を見つめ、自分と親との葛藤を見るのは辛いものである。

せっかく気付きながら、分析から足が遠のくこともある。

気持ちはわかる。

それでも我が子のため自分の成長のためにと踏ん張るか、辛さに負けて自分と向き合うことを避けるか。

それはクライアントが決めるしかない。

取り組まなければ現状維持だが、子どもの年齢は上がり実質問題は大きくなっていく。

取り組めば、見たくない自分を見ることになりそれも辛い。

しかし、結果が違ってくる。

辛いながらも取り組めば、その先には子どもの幸せと自分の幸せが待っている。

主体性を取り戻し、自分らしく生きていける、人生を楽しめる。

しかしまた、その道程の遠さに人は尻込みするのだろう。

しかし、「千里の道も一歩」、「継続は力なり」である。

お金を払えば得られるというものではなく、ただひたすらこつこつ積み上げていく努力のみ。

この長い道程を越えた末に得られるものは、何ものにも代えがたいものである。

私の場合は、辛さもありながら例えマイナスの自分であっても、自分を知ることが楽しかった、嬉しかった。

謎解きのように、なぜ自分が生き難かったのか、その訳がわかっていった。

自分への智を得、そして自分を肯定し、自分を取り戻していった。


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月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

月刊精神分析2009年5月号 精神分析家をえらびますか?


平成22年1月福岡出張日程変更のお知らせ

毎月1回、福岡出張セラピーを行っています。

平成22年1月の出張の日程が変更しました。

変更後の日程は以下の通りです。

日 時 : 1月6日(水)、7日(木)、8日(金)

場 所 : 地下鉄天神駅周辺(詳しいことは電話等にてお問い合わせください)

分析料 : 10000円 (プラス交通費2000円)

福岡近郊で分析を希望される方、おられましたらご連絡ください。

ひきこもり等により、外出が困難な場合は、お宅への出張セラピーを行います。

遠方への出張であるため、福岡でのクライアントの方には分析料プラス2000円の交通費の負担をお願いしています。

希望により子育て相談室、分析理論講座、インテグレター養成講座も開きます。

興味・関心のある方、参加希望の方は下記へお問い合わせください。

℡ 077-558-8766 または 050-3767-6283

携帯℡ 090-7357-4540

メアド:lacan.msl☆gmail.com☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策


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ラカン精神科学研究所メールアドレス変更のお知らせ

パソコンのメールアドレスを変更しました。

新しいアドレスは、lacan.msl@gmail.com です。

メール相談その他、ラカン精神科学研究所へのメールによる連絡は上記のアドレスにお願いします。


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『月刊精神分析』 09年12月号 私と精神分析3 発刊のお知らせ

『月刊精神分析12月号』は、『08年11月号 特集 私と分析』、『09年02月号 特集 私と分析2』に続いて『私と分析』の第三弾です。

編集部Aさんが、私ラカン精神科学研究所・宣照真理と、東京精神療法研究所の立木歩美さんのもとをたずね取材しまとめました。

当ラカン精神科学研究所のインテグレーター養成講座を受講され、その模様を書かれています。

その後Aさんは東京に向かい、東京精神療法研究所の立木さんに会い話を聞いています。

インテグレーター養成講座の同期であった私達が関東と関西で、それぞれインテグレーターとして活動している様子が少し伝わるかと思います。

月刊精神分析2009年12月号私と精神分析3 は(こちらをご覧ください)


月刊精神分析2009年12月号私と精神分析 3 目次

1、はじめに
2、プロフィール
3、ラカン精神科学研究所(京都・滋賀)編
4、東京精神療法研究所(東京新宿)編
5、おわりに
6、精神分析家ネットワーク


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月刊精神分析2008年11月号 私と精神分析もご覧ください

月刊精神分析2008年12月号 心の栄養学講

月刊精神分析2009年01月号 運命は名前で決まる

月刊精神分析2009年02月号私と精神分析 2

月刊精神分析2009年03月号随筆 精神分析

月刊精神分析2009年4月号 なぜ分析で病が治るのか

月刊精神分析2009年5月号 精神分析家をえらびますか?

月刊精神分析2009年6月号 女性と仕事・結婚・出産

月刊精神分析2009年7月号 非行と家庭内暴力

月刊精神分析2009年8月号酒井法子覚せい剤所事件と分析理論

月刊精神分析2009年9月号 秋葉原無差別殺人事件

月刊精神分析2009年10月号変容と変遷

月刊精神分析2009年11月号分析を受ける 

分析家の独り言(自分の感覚を大事にする)

クライアントの分析を終えて、ふと思い出したことがある。

20歳の頃、神戸の大学の近くで下宿をしていた私は、赤いブレザーを着て実家に帰った。

母はその赤いブレザーを見て「派手すぎる」と言った。

言われた私は、「そうかな」と思った。

しかし、これと言った反論もせず、いつまでも「派手」といわれた言葉が残っていた。

しばらくして、「20歳の私に赤のブレザーが派手というなら、私は一体いつ赤を着るの?」と思った。

それまであまり明るい色は着なかったように思う。

家を離れた開放感からか、私には珍しい赤のブレザーだった。

母はどういう基準で20歳の私に赤いブレザーが派手すぎると言ったのだろうか。

根拠のない、自分の勝手な感覚で軽々しく子どもにものを言うものではない。

もし私が今娘達に同じ様なことを言ったとしたら、非難ごうごうだろう。

私も娘が着るものをとやかく言おうとは思わない。

どうぞ、好きな色の好きな服を着てください。

それが個性だし、50歳を過ぎた私の感覚と、20歳代の娘の感覚が違って当たり前。

だから、相手を尊重し、自分なりの好きを磨いて楽しんでくれればよい。

私は自分でも気付かない色々な親の言葉に縛られ、親の感覚や価値観で生きてきたことがたくさんあったのだろう。

その親の呪縛から解き放たれ、自分の感覚を自分のものとして感じて生きる世界は、私が子どもの頃見ていた世界と違っているはず。

充実感があり、判断に迷うことはあるが自分で考え決めていける。

また、あるクライアントは着られれば服は何でもよかったと言った。

何色のどういうのが着たいということがなく、もらった服でもよかった。

そのクライアントは徐々に自分の好みの服を買うようになった。

自分の感覚を大事にしよう。

それには自分への自信や肯定感が必要。

それがないと他者から否定的言語を言われると、自分はこうだと自己主張できない。

自分は自分でいいのだ。

この世に一人しかいない私。

その私を私が認め、受け入れていけばよい。

その元になるのが、母の承認と賞賛である。

自我がまだ確立されていない子どもにとっては、母の影響は大きく、母の対応と言動によって子どもの自我はつくられていくのだから。

分析では、インテグレーター(分析家)がクライアントに承認と賞賛を与え、気付きによってクライアントは自我を育てていく。

自分の感覚を大事にすること、あらためてクライアントの分析から考えさせられた。


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分析家の独り言(インテグレーター養成講座;受講者の声)

今年10月にインテグレーター養成講座を新しくスタートして、3回の講座を終えた。

受講者の中に、「理論を聞くことが個人の分析以上にこたえる」と言う方々がいる。

特に精神発達論を話しているので、自分の育ち方や自分の子育てと比べ、あまりの違いを思い知らされる。

講座の朝になると何となく行く気がしないで、「お休みします」と電話したくなるという方。

これは抵抗。

理論を聴くことによって、見たくない自分を見ることになる。

それでも講座に来られるのだから大したもの。

そうかと思うと、「講座の後体がだるく、家に帰ってご飯がつくれなかった」という方。

講座の内容(理論)がクライアントの無意識を刺激する。

「生後わずかに間に、これほど複雑な精神の構造と発達があるとは知らなかった」という方。

皆さんが感じられることで、私も13年前同じことを思った。

「そのういうことだったのか、それならもっと早くに教えて欲しかった、知っておきたかった」と。

だからこそ、これから結婚し子どもをもつだろう若い人達に聴いて欲しい。

もちろん子育て中の親御さんや、自分を知りたい方々にも。

精神発達論くらいは、中学か高校の授業で教えて欲しいくらいだ。

もっと言えば、オールOK子育て法が、社会の常識当たり前になればいいのだが。

今はまだ、世間の非常識くらいの扱いと感じる。

オールOK子育て法の話をすると、「そんなに子どもをわがままにしていいんですか」「とんでもない」と言われる。

インテグレーター養成講座や分析理論講座では、オールOK子育て法を折に触れ人間の心の発達や構造上から解説している。

クライアント達は言う、「オールOKは奥が深いですね」と。

理論的にあらゆる方向から考えてあみ出された子育て法だから、理論を学ぶほどそれしかないとわかるのだが、一般の人にはなかなか理解されないのが現状である。

受講したクライアントは講座の録音をとり、家でも聞いているとのこと。

私もそうだったと思い出す。

私は13年前講座を聴く側から、今話す側に立った。

この講座の中からまた話す側なる人が出てくれることを願う。

次回2010年1月の講座内容は、自我論Ⅳ《母性》である。

これは多くの人に聴いてもらいたい内容である。

詳しくは、滋賀インテグレーター養成講座開講日程のお知らせ(平成22年1月) をご覧ください。


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今週のメッセージ(平成21年9月10月分)

オールOK!子育て法に掲載した、「今週のメッセージ」9月、10月の過去ログです。

無知であることの悲劇(平成21年10月16日)

生物学的女性カが子どもを産んで、それだけでは親ではない。
その後どう育て行くかである。
基本的に、人は自分が育てられたようにしか自分の子どもを育てられない。
ならば本来母親とはどういうものかを知らなければ、子どもの心を育てることは難しい。
何らかの子どもの問題で分析に来られるクライアントは、「そういうことだったんですね」「知らなかった」と言われる。
知らないということは悲しいことである。悲劇を生む。 
母性を翻訳したものが子どもへの「オールOK」である。
学んで知って、実践していけば、子どもと共に親が成長できる。

信頼(平成21年10月03日)

クライアントは、分析やインテグレーター(分析家)のことを信頼して、信頼していない。
しかし、子どもの対応法を話し、その通りに実践すると良い結果が見えてくる。
そうすると少し信用してくれる。
信頼関係を壊すのは一瞬だが、築くには時間がかかる。
この分析家との信頼ができてくると、クライアントは自分の周りの人に広げていく。
分析場面は、実験室であり、学習の場である。

子どもへのオールOKにより母親は自分をみる(平成21年09月21日)

親の子どもへの想いは伝わる。
良い想いはいいが、どこか可愛く思えない、やりにくい、苦手という想いが後に何らかの問題として子どもにあわられる。
そこにこそ、親の無意識・コンプレックスがある。
オールOKしようとしていくときに、同時にそのことにも触れる。
そのことが母親をも変容させ成長させる。

子どもが大事にされたと感じること(平成21年09月11日)

オールOKすることで、子どもは自分が大事にされていると感じる。
そう子どもに感じさせることが大事である。
子どもに関心と配慮を向け、要求に応え続ける。
この環境の中で子どもは息を吹き返し、動き始め成長する。
多くは母親自身にその親からそういったことをされていないため、大変なことである。
それでも分析を通して自分を知りつつ、欠けながらもやり続ける。
この継続と一貫性が、必ず実を結ぶ。
そして親に大事にされたと感じた子どもは、人を大事に出来る。

母との一体感(平成21年09月01日)

子どもは常に母との一体感を求める。
しかし、母親の側にその母との一体化の経験がないと、子どものそれが受け入れられない。
身体的一体感は子どもにとって、抱っこでありスキンシップである。
精神的には同意。
「そうだね」という言葉。
これを言われるだけでも子どもは安心するだろう。


宣照真理(天海有輝)

過去の今週のメッセージは、宣照真理のセラピー日記天海有輝のセラピー日記 分析家の独り言に掲載しています。

分析家の独り言(後悔のない生き方を)

親は「子どものために良かれ」と思い様々な事を言う。

日常の些細な事から、進路や生き方についてまで…。

親自身が生きて来た過程でそれは良かったかもしれないが、その事がそのまま子どもに当てはまるとは限らない。

だから、子どもに話す時は慎重に言葉を選んで話さないといけない。

親は無意識に子どもを自分の思うように動かしたいと思っている。

そこには親の"分離不安"がある。

また、自分の親と精神的に切れていない為、自分の子どもとも適切な距離がとれない。

日々クライアントの分析をして感じる事がある。

親は子どもに「幾つかの選択肢を与えた」様に見せかけて、実は子どもが「親の選んで欲しい道」を選ぶしかないようにもっていく。

まだ未熟で人生経験も少ない子どもには、その親の"罠"を見抜くことはできない。

そうして子どもは親の敷いたレールの上を歩くしかなくなる、歩かされる。

分析を進めていくと、その事にクライアントは自分で気付いていく。

また、子どもに「失敗して欲しくない」と、親は先々を心配し子どもが聞いてもいないことを先走って言ったりする。

あるクライアントが言った。「転ばぬ先の杖はいらないとわかりました」…と。

その通り、よく気がつかれたと思う。

失敗の無い人生などありえない。

人は失敗するから反省して、次は「こうしよう」「ああしよう」と考え、工夫と努力を重ね達成感を得ていく。

転ばぬ先の杖=過保護過干渉という事であり、それは、その子どもの可能性と能力を親が自ら奪い取ってしまっている。

私事だが、私は「石橋を叩いても渡らない」性格だった。

慎重にも慎重を期し失敗の無いようにと、育つ過程で親からのメッセージを受け取った結果である。

慎重すぎると「新しい事に挑戦する」とか「変化」を好まない人間になる。

生きていく事は選択の連続である。

常に右か左か、するかしないか、選ばなければならないその時、できるだけリスクの少ない無難な方を選ぶ事になる。

生きていく中では一か八か勝負に出なければならない時もある。

それがこれまでの自分から脱皮して、新しい自分に生まれ変わる機会(チャンス)になるのだ。

よくよく考えれば、私は慎重というよりは臆病であった。

あの時自分を信じて、例え失敗したとしても自分のやりたいことに挑戦すればよかったと思うことが幾つかある。

その後悔があり、私は"たられば人生"を生きていた。

「もしあの時こうだったら、こうしていれば私の人生はもっと違ったものになっていたはずなのに」と。

分析により自分を見つめ知っていくと、あの時の臆病な私にはその選択しかできなかったのだから仕方がないと納得した。

しかし、今からは臆病な無難なだけの生き方はしない。

新しいことに挑戦し続けていく。


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福岡出張のお知らせ(平成22年1月)

毎月1回、福岡出張セラピーを行っています。

平成22年1月の出張は以下の予定です。

日 時 : 1月9日(土)、10日(日)、11日(月)

場 所 : 地下鉄天神駅周辺(詳しいことは電話等にてお問い合わせください)

分析料 : 10000円 (プラス交通費2000円)

福岡近郊で分析を希望される方、おられましたらご連絡ください。

ひきこもり等により、外出が困難な場合は、お宅への出張セラピーを行います。

遠方への出張であるため、福岡でのクライアントの方には分析料プラス2000円の交通費の負担をお願いしています。



希望により子育て相談室インテグレター養成講座も開きます。

興味・関心のある方、参加希望の方は下記へお問い合わせください。

℡ 077-558-8766 または 050-3767-6283

携帯℡ 090-7357-4540

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分析家の独り言(娘の買い物に付きあって:親とは)

娘が「買い物を楽しめない」と言ったことがあった。

「どうして?」と聞くと、

娘がレジに並んでいて、先に並んでいた人がかごを置いたまま商品を見に行って、自分が先にレジを通すところだった。

そこに前の人が帰ってきて、店員は娘のレジをするのをやめて帰ってきた客を先に精算しだした。

娘は「自分が先だろう」と言いたかったが言えなかった。

そうして言えなかった自分と、小さな事にこだわっている自分が嫌だったと言う。

また、買い物で店員から説明を受けたり、商品を勧められたとき、自分が納得していないのに「はい」と言ってしまったり、欲しくも無い物を買ってしまったりすることがあると言う。

私は自分の欲しい物を買いに行って、何にしようか、どんなものがあるかと楽しみで行く。

自分の気に入るものに出会えると嬉しいので、買い物は楽しいことだと思っていた。

なるほど誰もが買い物を楽しいと思うのではなく、その人なりのいろいろな想いがあるんだなと思った。

それで娘は買い物に行くとき私に付いてきて、一緒に行こうとよく言っていたのだ。

あるときコンポを買いたいと、大型家電量販店へ一緒に行った。

店員に説明を受け、娘は自分なりに質問をし納得したようで買うことに決めた。

精算もしたが、店員の言葉に納得のいかないことが出てきて、また悩み出した。

私もそばで聞いていておかしいなと思うことがあったので、結局その場でキャンセルした。

娘は今も分析を受けている。(親子・兄弟・夫婦は分析できないので、惟能氏に分析をお願いしている)

娘がそのことを惟能氏(分析者)に話たところ、 「今度の分析はコンポを買いに行くことにしましょう」と言われた。

そこでまた娘は悩んだ。

また自分の言いたいことが言えるだろうか、、また店員にも分析者にも自分の想いが言えず、いらないのに買ってしまうのではないかと。

私は店員はまだしも、分析者にも言いたいことが言えてないことがあるのかと少し驚いた。

分析者を信頼し頼っていると思っていたが、娘は本当に真から信用しきっているわけではなかった。

思わず私は、「先生に全部言いたいことが言えてるわけじゃないなの?」「まだ先生の前ではいい子でいたいの?」と娘に聞いた。

娘は「そうだ」と言った。

そして、「コンポを買いに行くときお母さんも付いてきて」「横にいて、本当に納得したか、それでいいか、買うときに聞いて」と言った。

結局、分析者である惟能氏と娘と私の三人で家電店に行きコンポを買うことになった。

店員を惟能氏が呼んでくれた。

私はそばにいて、娘は自分でどういう機能のものが欲しいかを話し、説明を受け店員とやり取りしていた。

惟能氏と私はほとんど話すことなく、そばにいただけで娘が聞いて決めていった。

私は言われていた通り、いざ買うとなったときに「それでいいやね。納得したんやね。」と娘に聞いてと言われていたことを娘に言った。

娘は「これでいい」と笑顔で言った。

先生も私も何をしたわけではない、しかし家に帰って娘は「二人がいてくれて安心だった」と言った。

そんなものかもしれない。

見守られている、そばにいてくれて何かの時には助けてもらえるそういう存在があるのと無いのでは気持ちが違う。

親とはそういうものなのだと、娘の買い物の分析に付き合って思った。

分析者の立場としては、クライアントの信頼を得るには時間がかかり、大変なことだと実感した。


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分析家の独り言(2009年12月京都子育て相談室より:ひきこもり)

12月の子育て相談室には、新しく名古屋から来られた方や、ボランティアでひきこもりの支援に当たっている方が参加された。

ひきこもりは社会の大きな問題の一つであり、ひきこもる人の高年齢化が見られる。

年齢を重ね30代・40代・50代となってきている。

当然親の年齢もあがり、子どもが50歳代であれば、親は70歳・80歳代となる。

親が生きているうちは何とかなるが、子どもを残して親が亡くなった後、子どもはどのようにして生きていくのか、という問題に行き当たる。

そこまでいってしまったものは国の政策で対策法を考えてもらうしかない。

我々インテグレーター(分析家)にできるのは、そこへいく前の段階、子どもが10代・20代、せめて45歳までの間に親が子どもを育てなおすと同時に、ひきこもりの本人を分析し社会に適応できる強い自我をつくること。

この厳しい雇用状況の中、まず人とのコミュニケーションがとれなければ仕事は無いと、企業で働くひきこもり支援をしている参加者は言われる。

社会の中で生きていくためには、当然のことである。

このコミュニケーションをまず家庭の中で子どもは学習する。

親に言いたいことを言い、受け入れられ、親の言うことも聞く。

互いの想いや考え気持ちを会話によって伝えあい、そこに信頼・絆・親密性が築かれていく。

こういうコミュニケーションがそもそも家庭に無いことがほとんどである。

親は子どもを自分の言う通りに動かせたい、それが子どもの幸せと信じ命令指示を一方的に出す。

子どもはどうせ親に何を言っても無駄だ、聞き入れられることはないとあきらめているから本当のことを言わない。

こうして子どもは、言えない→出せない(感情)→動けない、でひきこもっていく。

育てる親の側に、特に母親に様々なストレス(例えば嫁姑の関係による)があり、子どもに適切に対応できないこともある。

例え嫁姑の中であっても、母親は言うべきことは言い、その上で姑とも互いに理解しあえる良い関係を築ければいいが、嫁である母親が言いたいことが言えない人で、嫌なことも呑み込んでしまう。

私さえ我慢すれば上手くいくからと言うが、それは言いたいことを言ってしまうと喧嘩になり、それを避けたかったり、良い嫁で居たいということではないか。

事なかれ主義は一見平静を保っているように見えるが、水面下では悪感情などが蓄積されていく。

この言いたいことが言えない母が育てた子は、やはり言いたいことが言えない子になっていくだろう。

だからこそ、オールOKによって否定や命令指示することをやめ、言えなかった子を何でも言える子にするのである。


初めて参加された方から以下のようなメールをいただいた。

「本日、参加させていただいた○○です。
いつもとは違った角度から問題を考えることができました。
引きこもりの問題は家族や社会のありかたが複雑に絡み合っていますので、様々な角度からのアプローチが必要だとおもいました。
実は、精神分析というのをあまり信用していなかったのですが、母と子という関係に絞ってみると非常に明快になりますね。
全ての人間関係の根源になっているという問題の立て方は勉強になりました。」

いろいろな立場から、いろいろなアプローチが必要と思う。

いずれにしても早い対応が大事であり、放っておいて良くなるものではない。

年齢を重ねるほどひきこもりからの脱出は難しくなり、家庭だけで抱えられない問題へ発展していく。

分析はひきこもる人間の心の構造を理解することの視点を持ち、そこからアプローチする。


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オールOK!子育て法 のページ

不登校・ひきこもりに悩む方々へ のページ

非行・家庭内暴力に悩む方々へ のページ


分析家の独り言 (ラカン精神科学研究所HP3万件アクセス)

当ラカン精神科学研究所のホームページのアクセスが3万件を越えた。

ホームページを立ち上げて、約2年半(2007年春開設)になる。

日本ではまだ知名度の低い精神分析を、いかにしてより多くの人に興味・関心を持ってもらえるかを考えてきた。

お蔭様で、「ホームページを見ました」「ブログを読んでいました」と言って、分析や各講座、子育て相談室へ参加の申し込みが入る。

私はどこか名だたる大学を出たとか、社会的資格があるわけではない。

精神科医であるとか、臨床心理士、カウンセラーでもない。

一般には、臨床心理士・カウンセラーを国家資格と思われているふしがあるが、この中で国家資格であるのは精神科医だけである。

そんな中で、私という人間を信頼して分析治療や講座などに来ることを決意できるものを提供したいという思いでホームページや各サイトを作ってきた。

権威主義的なクライアントから、「先生はどこの大学のどの先生の下で学ばれたのですか」と聞かれる。

そんなものは何もない。

いわゆる大学の教授などからみれば、我々インテグレーターは素人分析家ということになるだろう。

肩書きも資格もなく、信頼されるものをどう提供できるかと考える。

現代はパソコンというい便利なツールがあり、それを多くの人が使うようになったため、パソコンでいろいろな情報を発信している。

何かに悩み、検索キーワードを入れて、ラカン精神科学研究所にたどり着かれる方がいる。

クライアント達は、ホームページのGoogleカレンダーに書き込んだ予定表を見たり、宣照真理のセラピー日記(ブログ)を読んでいるらしい。

そんな状況の中、今回3万件のアクセスを超えたことは、私にとって意義のあることである。

更なるホームページ・各サイトの充実を図りつつ、分析を世にひろめていきたい。


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滋賀インテグレーター養成講座開講日程のお知らせ(平成22年1月)

毎月一回インテグレーター養成講座を開いています。

平静22年1月は下記の通りです。

日   時 : 1月23日(土) 11:00~14:00 (第四回)

場   所 : ラカン精神科学研究所(滋賀県大津市 JR湖西線{唐崎駅」下車徒歩5分)

受講費用 : 一受講につき一万円
        初めての方はプラス テキスト代一冊5千円 (全三冊)


第四回目 自我論Ⅳ《 母性とは》 目次
        
   母子分離 
    分離による心の傷、心の負担、分離期間の影響、母性喪失、

   母性と育児 
    母性剥奪、育児行為、

   虐待する母 
    虐待とは、虐待に至る母子関係に要因、虐待を生み出す家庭背景
    虐待児の症状、虐待児の人格構造の特徴、家庭内暴力 
   
   母性とは
    成長、母性、母親が母親らしさを育てていける条件、
    母不良タイプ、母子関係の発達

   総論

興味・関心のある方、参加希望の方おられましたら連絡ください。

試しに一度受けてみたいという方や、この項目を聞いて見たいという方、受け付けます。

その場合は、受講費用 一万円、テキスト代(一回分) 二百円 です。  

077-558-8766(電話ファックス兼用)
または 050-3767-6283(OCNドットフォン)
090-7357-4540(携帯電話)
lacan.msl☆gmail.com ☆を@に変えたアドレスでメール送信してください。(スパムメール対策)


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 月刊精神分析2009年11月号分析を受ける

分析家の独り言(滋賀インテグレーター養成講座第三回:超自我の発達より)

昨日5日(土)、第三回インテグレーター養成講座、自我論Ⅲ《超自我の発達》を開いた。

自我の三審級(エス、自我、超自我)をバランスよくいかに構造化できるかが精神構造上大事である。

超自我は親からの禁止(親の「ダメ」)として子どもに取り入れられるが、超自我も発達していく。

しかし臨床上、超自我が親の禁止の段階で止まっていることが多い。

人が成長すると共に、様々な経験を通して社会適応しつつ、エスの解放をいかに上手くするかという問題になる。

エスの解放のみではやりたい放題で、人を傷つけても殺しても平気、欲しい物は人の物を取ってもよいということになる。

また、超自我が支配してしまえば、禁欲的な真面目人間となるが、躍動感や楽しむ事ができず抑圧されたエスは行き場を失い、最後には爆発することになるだろう。

これが何か事件が起きたときに、「あんな真面目な人が事件を起こすなど考えられない」というコメントになる。

痴漢行為をすれば職を失い、家族がいれば共に路頭に迷うことにも成りかねないのに、電車で女性のお尻を触るということにもなる。

程よい超自我を持つことは簡単ではない。

超自我は自分を律する自我であるが、自分の理想のために今自分は何をし、何を我慢しなければならないかという自我理想に向かうために働く。

ここまで超自我が発達すれば大したものである。

その前にまず、自我理想を描けないという人たちがいる。

親が理性的、論知的でしっかりした超自我をもっていなければ、子どもは超自我を学べない。

子どもは親以上の超自我を持つことはできない。

分析では、クライアントがどれくらいの超自我をもっているかを、クライアントの語りや行動からみていく。

また、犯罪や凶悪事件が増えるということは、超自我のない人間が増えているということである。

全ての人に正しく超自我が入っていれば、警察はいらないのだから。

して良い事と、悪い事の分別がつかないということは、やはり赤ちゃん(アダルト・チルドレンどころか、アダルト・ベイビー)ということになる。


インテグレーター養成講座に参加の方は、お母さん方が多く、毎回「子どもに申し訳ない、ごめんなさいです」と言われる。

子どもに命令指示し、禁止する超自我を植えつけてしまったという反省かと思う。


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分析家の独り言(変容、自己否定から肯定へ)

自己肯定感、自信を持つことは結構難しい。

クライアントにはほぼそれらがない。

そして分析を受ける前の私も全くなかった。

親から「お前はダメだ」「~ができない」「あれもダメ」「これもダメ」とダメだしの連発だったと記憶している。

そんな中で、自分を肯定し自信を持つことはまず不可能だった。

当然「良くできた」「がんばった」などの承認や賞賛はない。

そんな私は、自分でも「ああ、私は何もできない、ダメなんだ」と思っていた。

『他者の下で自我は構成される』、親の私のへの否定的な言葉が私をダメ人間と規定してしまっていた。

肯定感も自信もないから、何かを自ら積極的にすることもなく引っ込みじあんでおとなしい、失敗が恐い、人と関わることが苦手・・・どころか、言葉で攻撃を受け、さらに実際に叩かれることもあったために、私にとって人は恐い存在だった。

振り返ればそんな中で生きていた。

よく不登校も、ひきこもることも、精神的病理に罹患することもなく来たなぁと我ながら思う。

大学は何が何でも大嫌いな家を出るために遠くの大学を選んだ。

初めて家を離れて一人の人間として見られ、「頑張っている」「結構やってる」とプラスの評価を受けることがあった。

ダメだと思っていた自分を、いや良くやっていると評価されると非常に気持ちが悪かった。

散々ダメ出しをくらい、自分でもダメだと思っていたのに人は私を良いと言う。

どっちが本当の自分なのかわからなくなる。

あまり褒められると、本当の私を知らないくせにと腹が立ってくる。

そんな気持ち悪さを抱えながらいた。

これらPTSDを分析を通して癒すのに時間がかかった。

そしてあるときの分析で、自己イメージが近づいてきて、あともう少しというところまできたとわかった。

そうなるまでには、ひたすら語り続けた。

過去を再現し、何度も何度も思い出しては語り、私が悪かったのではない、ダメ出しされることで私は私をダメだと思うしかなったのだとわかった。

そうしていつの間にか、自己肯定感も自信もつくられていた。

今の自分にOKを出し、自分が目差すなりたい自分(自我理想)も明確にある。

今に立つと、昔が自分だどうダメだったのかあまり思い出せないくらいである。

謙虚さを忘れず、しかし自分への誇りと自信は失わず生きていける。

人は中庸、程よさを持つことが難しい。

多くの人が極端にどちらかに振れ、その間を行き来し疲れている、昔に私のように。

相反するものをいかに自分の中に統合するかが、人間が生きるうえでの課題の一つのように思う。


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