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金谷氏今月のメッセージ (平成25年2月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。


テーマ「呪い」

 呪い“あまりよい言葉ではない。

 辞書によれば、怨みのある人に不幸な事が起きるように願う事。

とあるが、何故この様な言葉が存在するのだろうか?

人間が自ら作り出すものでもない。ではどんな風に出来るのか。

 人間には欲望がある。その欲望は、自らかなえることも出来るが子供時代は、養育者つまり母親が重に叶えてくれるものである。

しかし、母親の個人的都合や経済的な事、教育方針からそのほとんどが叶うことは無い。

人間は欲望が叶わないと、それが言えなくなる。

精神的病いは、この「言えない」事が全ての原因だと言っても過言ではない。

 言えないと言うことは、出せない。

欲望が出せないと、満足体験が無い。そうすれば不満になる。

不満が続くと怒りになる。怒りが続くと増悪になる。

この増悪が続くと破壊になる。

この破壊衝動が募ると、復讐心が形成される。

 しかし、この復讐は母親に向けての物だから、実行不可能である。

根本的には、母親は愛する対象で有り、尊厳性の対象でもあるから母親に向けられた復讐心は、自らの心の奥底に沈めてしまっている。

母が正しい教育をしていてくれたならば・・・・・

母がいつも適切に与えてくれていたならば・・・・・

母が自由に思いのままにさせてくれていたら・・・と、忘れていた思いが込み上げてくる。

その度に抑圧をかけて忘れ去ろうとするが、その悔しさや何ともしがたい思いに苛まれる。

これが辛くて悔しい、こんな思いをしなければならないのは、母親の責任だと。

又、これを繰り返すこの積み重ねが、復讐と言う「呪い」を形成する。

母親の対応が良ければ、自分の人生は素晴らしいものになっていただろう。

育てなおしをしているクライアント〔母親〕は、痛切にそう思う。

育てなおしをしてもらった子供が、私がこうなりたかった理想の子供に成長するのを、まじかに見る事になってしまうからだ。

子供が良くなれば成る程、自分は違う欠損をしている事が明らかになる。

子供の成長と同時に、自分の欠損と向き合わなければならない。

してはいけないと思いつつ、成長し良くなって行く子供に嫉妬してしまう。

対応しなければならないと知りつつも、対応に抵抗・葛藤・無視しようとする。

しかし、思い直し対応をする繰り返し。

こんな自分に涙を流し、この苦しみを味わっている自分の母親を呪わない方がおかしい。

もし対応しなければ、神戸の事件や秋葉原の事件の様な人間を作ってしまう事になる。

呪いは、必ずどこかで表現してしまう。

それが表現された時、大惨事になってしまう。

多くの関係ない人々を巻き込んで、不幸な人々を作ってしまう事になる。

母への呪いをもって子供の幸せはないということになる。

でも、母も子も全て幸せになる事が分析の目的である。

子育ては、ALL OKが基本である。

これは、子供が欲するままに言葉で言えたものだけO.Kする・叶えると言うこと。言われてない事はやらない。

何故ALL OKなのか?

子供が言っても、答えてもらえないのは、自分に価値が無いからだと思ってしまうから。

欲しいとも頼んでもいない事をされるのは、押し付けそのものであって迷惑なもの。

対応を改め、子供が自由に思うがまま与え、世話する事により「呪い」は消えていく。

今持っている人は、この「呪い」の文字を「祈り」と言う言葉に書き
換える事が望ましい。

    拈湧 笑界・ねんゆ しょうかい

金谷精神療法研究所

ラカン精神科学研究所 のホームページもご覧ください
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金谷氏今月のメッセージ (平成24年1月)

以下は分析家仲間の拈湧笑界(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。


テーマ「母子関係の重大さ」

 人間は、母親なくしては生まれ出る事も生きて行く事も出来ない。

分析治療に係っていけば行くほど、母親との問題の重大さを痛感する。

 母との関係の苦しみを20歳を過ぎても、老人という年齢に近づいても、身体や精神に響き表現し症状に出す。

身体で表すと病になり、精神で表すと神経症(うつ状態など)で重症になれば精神病にまで至る。

母親との問題がそんな風な状態になるとは、と誰も思わないだろうし信じも難い。

しかし、経験した人は身にしみて理解出来る。

母子関係が問題になるのは、人間が何も解らず何も出来ず、何も認識する事が出来ない状態でこの世に産み落とされるからである。

野生動物の赤ちゃんであったなら、母親がいなければ直ぐに、天敵に遣られるか餓死するだろう。

でも人間の子供も本来は同じなのである。

フロイト曰く「寄る辺なき存在」と表現した通りなのである。

何も出来ないから母親に頼るしかない。でもそれも子供の意志ではなく何をされているのか、誰がしているのかと言うことさえわからないものなのである。

 例え嫌な事をされても、嫌だと感じていても言えない。思い通りにしてもらいたいと思っても、伝える手段が無い。


 あるクライアンの見た温泉の光景なのですが、お母さんとおばあちゃんと孫が浴槽の中にいる。

子供はまだ2才ぐらい。若い母親が子供に「お座りして」。次におばあちゃんが言う。「座ってお湯の中に浸かって」と。母が又言う「私みたいに座ってごらん」子供は黙って二人睨んでいる。

母と婆が交互に同じ事を言う。子供は母の前のお湯をぴしゃんと叩く、如何にも怒っているのである。でも、まだ言葉もおぼつかない小さな子にふたりの攻撃は止まない。

しまいに子供は二人に背を向けた。が、何度も何度もしつこく母と婆は繰り返す。怒りがピークになり、子供は体を大きく振り「嫌だ」表現で訴えた。

見ている人も別に普通の光景の様に気付かないだろう。子供は中々頑張っている。だがそんな訴えなど気にも留める事無く攻撃はまだまだ続く事だろう。


ほとんどの方も経験があるのでは。これは子供にとって攻撃なのである。母親は良かれと思ってした事であっても、子供は不快に感じた。

が、ほとんどの場合しかたなく、されるがままに身を委ねるしかない。たび重なる不快感を持ったままどうする事も出来ない、最悪の状態がつづく。その思いを母親は知らず、そのまま改善されないまま成長していく。

 その後言葉に出会う。

今まで音として聞いていたものが、雑音以外の別の音を言葉だと知るのである。母の真似をしながら言葉を覚えていく。

 又ここで次なる苦しみに出会う事になる。

言葉の意味が理解出来ない為、言語表象とは別に音の響きによっても意味が有るように感じてしまうのである。

 例えば「勝手にしなさい」を強い口調で言う。

言葉の意味は、勝手にしても良いと言ってる。が、音はダメだと言ってるように思う。子供はどう判断していいのか苦しむ。

言葉に出会ってしまったばかりにこれから先、ずっと母親の言語攻撃が続く。

「早く起きなさい・歯磨きしなさい・早ご飯食べなさい・早くしなさいお友達を待たせてはだめよ・忘れ物は無い?車に気をつけて!・宿題しなさい・テレビばっかり見ないで早くご飯にしなさい・お風呂に入りなさい・ゲームを止めて早く寝なさい」

寝るまで止まる事のない指示命令。

これは実に五月蝿いとしか聞こえない。

自分の為に親切に言ってくれているなど、決して子供は思わないから人の言う事に耳を傾ける大人には成長しないのである。

 言葉には優しい言葉・柔らかい言葉・温かい言葉・よく分かる言葉などの反面に、厳しい言葉・激しい言葉・冷たい言葉・支離滅裂な言葉が存在する。

優しい言葉を使う母と、つめたい言葉を使う母との元で育った子供が同じ様に成長するはずが無いのである。

どっちが良いかは周知の如くである。

おまけに世話もしない・言う事は否定的な事ばかり・要求には真面目に答えてくれない。などの様な母親の対応で、子供が真実の言葉を使いまわりに配慮できる大人に育つであろうか。

 子供が育つ環境とは、優しさの中で何を言っても怒らない、何でも聞いてくれる、いつも母が側に居ることが絶対必要条件。

抱っこと・まなざし・優しい言葉で育てていけば、自然と子供の持っている能力が発揮され思い通りの人生を歩めるように成長するのである。

むろん反対をやれば、心を病み社会不適応になって最後は悲惨な結末を向える事になる。今やこんな病める大人が増え、親になり自立出来ない子に育てているのである。

信じるやいなや。子供は母親の育て方一つ、子供の人生が決まってしまう。果たして幸せに成るか、不幸になるか、母親の手の内にある。

解ろうと学んでほしい。素直に受け入れて、子供の理想的なお母さんになって頂きたい。

笑顔で母子共に幸福へと願う毎日です。

   拈湧 笑界・ねんゆ しょうかい
   (新インテグレーターネイム)

 
金谷精神療法研究所

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金谷氏今月のメッセージ (平成22年12月)

以下は分析家仲間の真理攫取(金谷)氏のHPにある今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。


テーマ「殉難の志士」

 NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が終わった。

土佐の一介の下級武士であった坂本龍馬は、日本の歴史を大きく変える事に命をかけた。その時代300年続いた徳川幕府を倒し、新しい国を造るその中心人物になり奇跡とも言われる、敵同士である薩摩と長州を同盟に導いた。

その上に、土佐の城主山内容堂公を動かし、幕府が政権を天皇に返すと言う「大政奉還」にも力を注いだ。

片や亀山社中を創設して商取引をした商人でもあった龍馬は勤皇・佐幕と言う対立など関係なく彼の目は世界を向いていた。

外国と同等に向き合える日本国にしたい、と真剣に考えていた人であった。

「みなが安心して暮らせる国にしたい」と、薩摩や長州・土佐の人々に説得をし、北辰一刀流の腕前でありながら剣を使う戦いは極力避け、あくまでも話し合いで解決しようした。

 龍馬は勝海舟の海軍に所属し、日本も船艦を持ち外国と対等に渡り合えるようにすることの必要性を力説した。

決して戦争をする為に軍備をしようとしたのではなく、諸外国と片を並べ威嚇に屈する事無く、堂々と貿易や文化の交流のため日本を発展させようと考えていた新しき人であった。

 当時幕府を倒す事の大変さがどんなものであったかは、徳川家康のつくりし揺ぎ無き徳川の長きに渡る時代を読み図れば分かる。

国を平和に保つ為、あらゆる危険要因を取り除く事に尽力した過去の将軍の苦労の賜物、信長の一向一揆の苦労や秀吉の継承問題の悩みなど、側で見て学んだ家康は、結果として確固たる武士の社会を築く為に必要なものを徳川幕府に布置した。

武家諸法度や公家諸法度・諸宗寺院法度というものを制定し、きつく取り締まった。

 継承問題は、御三家を制定し徳川一族が将軍を継いでいく事とした。

途中これが揺るぎ始めたが、八代将軍吉宗の時に田安・一橋・清水家を加え御三卿を制定し更に揺ぎ無いものになった。

こうして造り固められた徳川を倒すなど容易ではない。

 しかし龍馬は、御三家の一つである紀州家の船との衝突事故をきっかけに初めて国際法に基づいた示談交渉を使い多額の示談金を取った。

又、大政奉還に導いた龍馬の考えは「船中八策」に現され、新政府の政策安として土佐の後藤象二郎に示した、後に五か条の誓文及び新政府に受け継がれた。

 これはイギリスの議会制民主主義を参考にしたものであり、いつも龍馬は日本国内よりも広い世界に学び、自身も世界に思いを馳せていった。

刀よりも鉄砲の時代、階級制度よりも市民平等を願い真剣に日本の事を考えて文字通り命がけの行動があったお蔭である。

 以前京都の東山に有る霊山護国神社に行ったことがある。

龍馬と中岡慎太郎のお墓があり、お参りをした時その周りには池田屋で犠牲になった志士たちや禁門の変で犠牲になった人々も共にまつられていた。

 新しい日本を夢見て、命を駆けて戦い、長い戦の末に出来たその日本を見る事無く、若き命を散らした彼らは、今の日本を見て本当にどう思っているだろうか?

生きている我々は、彼らに今の日本を自信を持って言えるだろうか?

「皆が安心して暮らせる日本です」と。

真剣に日本国のことを考え、命を削って私心を捨てて、国造りをしてくれている国会議員や官僚の人達はいますか?

吉田松陰や坂本龍馬の様な人材が現れてくれる事を祈りつつ、我々は自分達の事は自分達で守って行ける様になること。その為には国に頼らない自律した人間にならなければならない。

それにはインテグレーター=統合者になるしか方法はない。自らの無意識を整理し自ら与えられた真理の生きる道を知る事により、龍馬の様な生き方が出来る人間になれるのである。これを自ら実践していくことである。

        真理攫取


金谷精神療法研究所

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金谷氏今月のメッセージ (平成22年4月)

〔テーマ 『吉田松陰』 〕

 私が青春時代に憧れた吉田松陰は、若くして時の徳川幕府を真向から立ち向かい壮絶な生涯をとじた。

その知性と勇気に「男」を見たからです。父のいなかった私は男はどう生きるべきか、どう生きる事が男の人生なのか、と問いかけていた時に松陰の人生を垣間見て憧れていた。今またその壁に打ちあたって再度松陰に出会う事が出来た。

 松陰は元保元(1830年 )萩で下級武士の次男として生まれ9歳で中国の古典を諸んじ、11歳で藩主の前で学問を講義し、長州藩期待の星であった。彼は5歳で伯父の所に養子に出された。
伯父は武士の心得や戦の攻め方や守り方を研究する兵学者であった。

その伯父から英才教育を受けた彼の逸話がある。ある日学問の指南を受けていた時一匹の蚊が松陰の顔を刺したのでそれを手で払ったところ、伯父は烈火のごとく怒った。「学問は藩に役立てる為にやっている事、言わば公の事である。その最中に虫が止まって痒いというのは私事である。藩の為には私事を捨てなければならないのだ」と徹底した教育だった。
  1851年・松陰22歳の時兵学修行の為に江戸に留学したが松陰は江戸の学者に失望する。江戸の学者は、皆学問を生計を立てる手段と考えている人が多く、貫く道として学問を志す人がいない。

松陰は日々、日本各地から集まって来た優秀な若者と議論を交わした。当時はまだペリーの黒船が来る前の時代の事、話題は日本近海に現れる外国船・アメリカロシアの船が東北で目撃されていて、いつか攻めてくるのではと恐れられていた。

 日本の守りは大丈夫なのかと、松陰の兵学者の血が騒ぎ熊本藩士・宮部鼎蔵と共に東北調査の旅を決意し、その調査の旅に出るには「過書」(現代のパスポート)が必要であり、松陰はすぐさま申請しようとした。

が許可に2ヶ月かかると言われ、また、「過書」無しで旅に出れば藩を脱走した犯罪者になる。その上時は12月真冬の東北は大変だから出発延期を諭されたりと、結局のところ許可の無いまま出発してしまう。

待ってたのではが時期を失すると考えた松陰、1851年12月22歳の時で2人は外国船が出没する津軽海峡を目指した。

道中水戸では兵学者に話を聞き、会津では洋式の大砲を見学した。
しかし、難関は越後山脈の諏訪峠を越える事であった。ここは積雪が2mほどにもなる豪雪地帯で、一歩進むのも容易なる事ではない。

登り始めてから5時間峰の頂上を極め、四方を見渡してみるとこの上なき快感を覚え、あごが外れるほど大笑いした。困難であればあるほどその中にある大切な事を知る事が出来るのだと悟った。

 だが松陰はこの後、日本の厳しい現実を見せつけられる事になった。まず、佐渡島にたちより幕府直轄地の金山を見学した。そこで見たものは工夫達の悲惨な姿で、どんな力がある者と言えども10年も働けば体は衰弱し死に至る事、しかしそれでもここはまだましな方で他の山なら3.4年で死ぬと言う過酷さ。

 その次に訪れたのは、優れた軍馬の産地・盛岡藩に立ち寄った。
軍馬の生産農家と話をした所、農民たちが育てた馬が2歳になると藩が安い値段で買いたたいてしまう。利益の多くは官にあって民にはないのであった。国の守りを支える人々が、幕府や藩に追い詰められている現実に松陰は疑問を抱いてしまった。

 1852年3月・津軽海峡に到着、そこで松陰は愕然とする。
海岸に大砲はあるものの弾が遠くまで届かない旧式ばかり、地元の弘前藩は見て見ぬふりをしている。藩の重要な地位にある者がこの事態にぼんやりとして心配すらしていない。

松陰が帰国したが藩は厳しく罪することはなく、まず頭脳明晰な松陰が見聞を広めれば後々藩の役に立つと、逆に自由に旅する許可をあたえた。
 
 その後、松陰は南は九州から東北に至るまで歩き、距離はおよそ1万3000㎞地球の直径とほぼ同じであった。
松陰は又大胆な行為に及んだ。弟子の金子重之助と共にアメリカ密航を決行した。1853年6月24歳の時にペリーのアメリカ艦隊が浦賀に現れた。

1854年1月25歳の時、無謀な挑戦をする。西洋に対抗にはするには自分がアメリカに渡り、技術を学ぶしかないと考え1854年3月・伊豆下田に向かった。

船頭に交渉するが、一度は黒船を目前に逃げ出され、次は約束をすっぽかされ、それでもあきらめず黒船の船員に手紙を渡し、自分たちを迎えに来てくれと頼んだ。が実現せず自らの力で船を操り黒船に乗り込み命がけの申し出であったが、アメリカが密航者を受け入れてしまうと、幕府との交渉に支障が出る恐れがあると判断された為、簡単に断られてしまう。

 しかし、後日ペリー提督はこの日の出来事をこう語っている。
「この事件は二人の日本人の激しい知識欲を示すものとして、じつに興味深かった。この二人の性格を見れば、日本の前途は何と可能性を秘めている事か!何と有望である事か!」と絶賛したのである。

 海外密航を企てた二人は逮捕され、金子は獄中死をしてしまう。
松陰は身分の低いものが志を果たせない国の現状に、疑問を膨れ上がらせていった。
松陰は自宅謹慎を命じられた事により、自宅で「松下村塾」を開いた。自分を「ぼく」弟子を「あなた」と呼び対等な立場で学習していった。そこには90人を超す弟子たちが集まり、戦いの天才・高杉晋作、長州の若きリーダー・久坂玄瑞、後の初代総理大臣・伊藤博文等多勢の偉人が育った。

 しかし、ここで松陰は強烈な幕府批判をはじめる。長州藩の藩主に意見書を認めた「世を惑わし民を偽り仁義をふさいでしまう功利の説が天下に満ち溢れている。将軍は天下の賊である。大義にてらしてこれを討滅誅戮し少しも許してはならない」

この激しい抗議文、当然ながら長州は握り潰してしまった。松陰は諦めることなく尚も「これから幕府の老中を暗殺します。ついては武器弾薬を貸してほしい」藩は松陰を投獄してしまった。それでも諦めず牢屋から弟子たちに手紙を書き、自分の訴えを依頼したが弟子たちは血判状を書いてまで諌めた。「先生のおっしゃることはもっともで感激しましたしかし決起は容易でなく、かえって藩に迷惑がかかります。胸をおさえ過激な批判を止め、藩に害を及ばせぬようお願いいたします。」と返事を出した。

しかし松陰の答えは「私の思いが分らない人と絶交する。僕は忠義をするつもり。諸友は功業をなすつもりで、自分の功績や手柄を考えてるのではないか!皆が時勢環境と言うが、時勢が来るのを待っていれば日が暮れる。自分たちが時勢を作り環境を整えるのだ。」と主張した。

 安政6(1859年)7月9日幕府役人から直接取り調べを受ける事になったが、松陰はこの期を利用し、幕府が穏便にと処理しようとした行為を無駄にして、老中暗殺を自白し自らの思いを直訴してしまう。

「奉行がもし私の意見に耳を傾けて下さり、天下の大計・現在の急務を弁え1・2の措置をなさって下されば、たとえ私が死んでも光が有ります。」自らが声を上げる事によって、少しでも世の中が変わるかも知れないという命がけの訴えであった。

 これにより安政6(1859年)10月27日30歳に死罪になってしまった。松陰の遺言と言うべき「留魂録」でこう言っている。「私は30歳、四季はすでに備わった、花咲き実は結んでいる。
それがよく熟していないものか、それとも成熟したものなのかは私の知るところではない。もし同士の中で、私の心を継いでくれる人があればそれはまた、種子が絶えずに穀物が年ごとに実って行くのと変わらないことになろう」

 松陰の死後8年目にして幕府は倒れた。松陰の信念は「成功失敗を考える前に、まず行動する事に意味がある」世の中を変えようとする人の考えや行動は、無茶に見える。それは常識や慣例に従って変化を恐れ、事なかれ主義に固執している人の目線であり、それでは何も変わらない。
松陰のようにこの世の中を正しく自分の目で見て、感じ個人や藩だけの為でなく日本国の事を思い、自らの主張を絶対に諦める事無く、訴え続け自分が声を上げ行動することにより、世の中を変えようとする意気込み、相手がどんな人間であろうとも堂々と立ち向かう勇気、命がけで最後まで信念を貫く精神、これが男としての生き方である。

私はこの精神を学び行動して生きて行きたいと思う。

所長  真理攫取


金谷精神療法研究所

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金谷氏今月のメッセージ (平成21年6月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)
  テーマ「法で裁けない罪」

 最近、精神科・心療内科から当研究所に来所される方が増えてきた。
医師に不信感を抱き苦しんだ果てに捜し求めて来る。医師がおかしいと気付かれる方は早くて一年、少なくとも3年はかかるようである。
電話帳とHPを見てだが、折角問い合わせてきても保険が利かない上に一回・一時間10000円もする。
どの様な治療をされるのか?の問いに「言葉で治療します」と言うと・・・・・・・・・益々分からなくなり、医師に不信感を抱き、猜疑心の固まりの様な状態である為に、治療契約が成立する方は数名にすぎない。
それでも、その難関を突破して、面談に漕ぎ着けた方には精神分析のすばらしさを理解してもらえる。
 今回その中のお一人、Tさんを紹介したいと思います。
 某市役所に勤めておられましたTさんが、TOPに不信感を抱き耐えられなくなって、苦しんだ挙句「うつ病」と診断され、精神的に追い込まれ登庁出来なくなってしまった。
方法が分からずしかたなく心療内科にて受診され、投薬中心の医師の対応に不信感を抱き、納得できず、当研究所を訪れた。
面談した所「うつ病」ではない。それどころか役所のやり方やTOPに対しての評価が正しく判断出来る。
そのやり方などに目を瞑りそれを押し切ってまで登庁しなければならないメリットは何もないと答えが出てしまい、役所には行きたくないと決めただけで、意味もなく登庁できないという出社拒否ではない。という事が分かった。
だから、見た目は元気だし到底「うつ病」には見えない。 故に医師は「怠けている」と思い込んで治療にあたっている。
 Tさんにとっては、心外であり事実を説明しようと思っても10分間診療では何も伝える事が出来ない。無理してまとめて省略して伝えたら怠けて・行きたくない=言い訳・にしか取らない。
でも、そんな所にも診療に行かなければならないのは「休職」と言う制度を利用して回復しなければならないからである。
それには「診断書」が不可欠だからである。ある意味そんな所に通院しなければならない方が、うつ病になりそうである。
原因も分からない。治療は、投薬だし、気持ちは理解してくれない、行く意味がない・・・と言えるのは正常であると思う。
 それよりも役所に行けなくなった事には、必ず理由・原因が有る。その原因が分かれば治る。実はその原因は自分の考えられる範囲には無い。意識の世界には切っ掛けはあっても原因は無い。自分には考えも及ばない所にある。
この様な状態に陥る人は頭もいいし仕事もバリバリしていた人で自信がある人なのである。
それ故に自分で「何でこうなってしまったのか?」と問いかけても分からない。
自らの力に不信感を抱き落ち込むのである。そこに自分がまったく知らない「無意識」の世界が有る。
見えない世界に答えがある。そうはいっても俄には信じることは出来ない。当然の如く医師にこの事が通じる訳も無く、一笑に付されて終わりである。
家族も友人も同僚達も真に理解出来ない為、ただ単に励ますだけで本当の手助けは出来ない。
医師もダメ、家族友人同僚も・誰も分かってくれないと思い込み孤立無援になり、最悪「命を絶つ」と言うことになる。
クライアントのTさんは、病院は診断書をもらう所、心は分析でと、割り切って戦うと決められた。
それでも、分かっているものの病院に行くのは憂鬱で、役所に診断書が必要になる為仕方なく通院すると言う状態である。
 ある日、医師からショウトケアに参加するようにと半ば強制的に言われた。逆らうわけにも行かず無理に参加したが何の利益にもならず余計失望してしまった。
今回お話したいのは、Tさんが体験したこのショウトケアでの出来事なのである。
ショウトケアに参加し始めて1年程度になる。2・3週間に一度の割合で・・・途中2ヶ月ほどブランクあったりと、そう真剣には参加していなかったが、しばらくぶりに参加してみると参加メンバーも随分と変り大半が30代で、いつの間にかTさんは最年長になってしまっていた。
この出来事が起こったのは、いつものように10人ほどで本の輪読の後「先週の振り返り」と言って、各々が立てた目標の達成具合やそれ以外の出来事などを簡単に発表していくコーナーの時間だった。
その中で必ず参加している30半ばの男性の事だが、彼は薬のせいか・・話し方もゆっくりしていて搾り出すようなたどたどしい言葉で「先週は・・・・・・ストレス・・・の・・・かなりストレスの・・・・かかる・・・・ことがあり・・・まして」と話すのに躊躇しながらも何とか話を続けた。
彼は、職場から障害年金を申請したらどうかと勧められた。それには最初に診察を受けた病院の診断書が必要になり、4年ぶりにその病院・心療内科へ再度訪れた。
(過去、2・3度通ったが医師と心理士が2週間ごとに交互に診察するシステムでその診療方針が合わず辞めた所である。)
 再診察を始めるやいなや、いきなり医師から「あなたの精神年齢は低すぎる!」と叱られ、彼は驚きと同時に怒りすら感じた・・・が診断書を出してもらう手前、頭を下げて誤った。
取り合えず、診察は進められていき、最後に彼は医師に尋ねた「この頃疲れやすいんですが・・」と言うと、医師は腕時計を指差し激しく怒鳴りつけた。「それは現在かかっている先生の治療が悪いからだ!もう5分経っているのですよ!待っている人の事を考えないのか!」と・・・・
彼はその時の事を話しながら唇は小刻みに振動、声は震えていた・・・・・医師の胸倉をつかみたい心境だったと言う。
「ぼくのこと・・・を・・・2・3度・・・・しか診察・・・しないで・・・、こういう病気だと・・・・・言うことを・・・・知って・・・いるくせ・・・・・に・・・・・」・・・・・・
かれの憤りの激しさが他のメンバーにも伝わった。許せない彼は保健所へ訴えたが「指導します」と回答を得てひとまず納めた。
が、「でも眠れず何度も泣いて・・・」「お金は要らないんです。・・・ただあの医師・・・に刑事罰・・・を与えたい・・・どうしようかと・・・」「訴訟をした方がいいのか・・・・忘れた方がいいのか・・・迷っている」と彼は言った。
この話を聞いていた心理士は、わざと知らんふりをしうつむいていた。
ショウトケアの終わりに感想を述べるコーナーで彼は「・・・・・親身になって聞いて・・・・・・くれて・・あり・・・がとう・・・ござ・・・・・・・・・・・・・・・・」と声を詰まらせ最後には言葉にならなかった。
 こうして「心療内科」の医師達は人の一生を破滅させて行くのだと言っても過言ではない。
この話をTさんから聞いて、私は精神分析をしていて良かったと、今本当に思った。
精神分析は「言葉で治療する」これは言葉で人を生かしていくと言うことである。
心療内科は逆に「言葉で人を殺し薬で治療してるのだ」と。これは法律では裁けない。これほどひどい状態でありながらどうすることも出来ないのが現状なのだ。
厚生省も法律もこれを裁く事は出来ない。日本には監視するシステムは無い。それを良い事に自らの主観を元に治療はやりたいほうだいと言われても仕方ない。我々が指摘しても聞く耳を持たぬ。反省もしない。あらためようともしない。我々に聞いてくる謙虚さも無い。これは天下の大罪である。。
Tさんは「かれはよく自殺しなかったなあ・・」と思いました。と言われた、同じ状況にあり、彼の思いが本当に分かるのはTさんなんだと私は感じました。
精神を治療する為には知識・理論が必要である事はもちろん《人の痛みが分かる人》でなければならない。それには医師も最低5年間の教育分析を受け精神とは何かと言う事を知る必要があると強く訴えたい。!!
所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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参考:月刊精神分析09年05月号 特集 精神分析家をえらびますか?

金谷氏今月のメッセージ (平成21年5月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)
  テーマ「一輪車」   
 当研究所は「育てなおし」の理論で子育てを修正して頂いています。
育てなおしは、子供を育てなおす事はもちろんの事、「母親の育てなおし」が、本当の主旨です。
 理論どおり育てれば、”どうなるだろうか?”と思っていたが、ある姉妹を持つお母さんと出会えた。
その三女・Kちゃんが、胎教から理論どおり育ててくれました。紆余曲折ありましたが、概ね理論どおりに育ちました。
今回お母さんから、Kちゃんが小学校2年生になった、その春休みに「一輪車」に挑戦した事を、自らの心境と共にまとめた手記をみせて頂きました。
 Kちゃんは、今年の書初めに『新しいことに、いっぱいチャレンジするよ』と書きました。
その言葉通り『一輪車』にチャレンジしたのです。
 Kちゃんは「春休み中に一輪車に乗れる様になるぞ!」と宣言
まず、一輪車の椅子に乗る事から初めなければならない。
お母さんは、「手すりにつかまってやれば」とアドバイス。
全面支援で、椅子に座れた。が、その瞬間クルンっと一輪車は吹っ飛んでしまう。(+o+)
それも補助をしているお母さんの足に当たる。〔内心痛くてガマンするが、腹が立っている<`ヘ´>〕
お母さんは、「昔の私ならもうこの時点で付き合っていなかった」と・・・・・・・・・・
とにかく、前に進む事よりもバランスよく座る事に集中した。
お母さんは、Kちゃん一人で無理なので、タイヤを足で止めてKちゃんを引っ張りあげるようにした。
・・・・心中は、日焼けは困るし疲れるぅー・・・・と思っていた。
ふと、真ん中のお姉ちゃんのTちゃんの事を思い出した。年中の時にスイスイ乗っていたなあ。
Tちゃんの事を告げたが、まったく反応せず、関係ないとばかり一輪車に集中!
Kちゃんは、人は人・自分には関係ないと分ける事が出来る、その強さに感動する。

 しかし、やってもやっても乗れない、いらだちをお母さんにぶつける「ママのやり方が悪いから」
「ママがこうしてくれないから」最後は「ママが全部悪い」と丸投げしてくる。
お母さんも腹が立って・・・勝手にしろ!と放り出したくなる気持ちをなんとか抑えて・・・・・・
・・・・・乗れなくて辛いんだ。悔しさをこういう形でしか表現出来ないんだ。・・・・・・と理解し受け止めてやろうと決める。
何とか手すりにつかまりながら前に進む事が出来るようになった。が、クルンっと一輪車が飛んでしまう。
タイヤがお母さんに当たってしまうと「あっごめん」とあやまるKちゃんに、最初にキレなかって良かった・・・・
お母さんはホッとする。
少しの時間でもあれば練習し、空中乗りが出来るようになったその姿を見た時”やる気”を感じた。
 Tお姉さんに色々なワザを見せてもらう。バックでスイスイ動くその姿を憧れ目線で見るKちゃん、Tちゃんの様になろうとKちゃんとお母さんは誓う。
その後手すりにつかまりながら前に進む事が出来る様になった。Tちゃんの何かを学んだのか、雨が降っても関係なく練習に励むKちゃん、お母さんも濡れながら付き合う。
 Tちゃんの時はこんなに付き合わなかった。何もしてあげてないのにあんなに上手に乗れている。
申し訳なさと反省で落ち込む。
手すりにつかまりながら、何とか行ける様になったがここからが大変だった。今度はお母さんを手すり代わりにするから手を貸してくれと言いだした。手すり代わりになると言う事は、手すりと同様にしなければならない。
 手すりはある程度の長さがあるが人間はいわば永遠なので、Kちゃんが動く限りずーっと一緒に歩かなければいけないのである。その上、上手く乗れるように補助もしなければならない。
案の定「ママはなんで人の前へ前へ行こうとするの」とキレまくる。
手すりはどこへやら。お母さんの手ばかり。母は支えてあげようと思っているのに上手く行かず、Kちゃんのバランスを崩させてしまう。そうしていると今度は、「何で後ろに後ろにいるの!」と怒られる。
Kちゃんは「こけそうになったら受け止められる位置にいろ!」・・・・・・・・・口では簡単に言うが、実際はとても難しい。
 ある時「一瞬だけ乗れたんだ!」と報告に来た。お母さんは、ひょっとしたら乗れるのではと言う予感がした。
ふっとKちゃんが言ってた言葉を思い出した。「春休み中に・・・・・・」と宣言してた事を。
Kちゃんの望みを・・・叶えてやろうと本気になった。
何度も自分が転びそうになったら、つかめる位置にいてくれと頼まれる。これが非常に難しい。
前に行き過ぎてもダメ、後ろにいても遅れてダメ、近づき過ぎるとぶつかり、離れすぎると倒れる。
お母さんは、子供と「一致」しなければ乗れないんだと悟った。
 その苦労の甲斐があって、ある日Kちゃんが「乗れた!」「ヤッタァー!」と。 大喜びで「見て、見て~!」の連発!一輪車が」楽しくて楽しくてしかたがない。がまだ終わらない。
「Kちゃんが乗るとこみてーなぁ~」と得意げに言う。乗れたと思い目を逸らしたら、「ママ見てなかったやろ!」
と怒られる。次にはKちゃんが乗ってる所を後ろから「見てるよ」といってくれと言う。
 お母さんはあまりにも嬉しくて「見てるよ」と共に「すごい上手、かっこいい、乗れてる乗れてる」と言うと・・・・・
「見てるよだけでいいのに、余計な事を言われるとうるさくてこけそうになる」と怒られた。
 又ある日、Kちゃんが帰って来て嬉しい言葉を言ってくれたおばあちゃんがいたと言う。
その老婆は「ここまで乗れる様になるにはすごく大変だったろうね。上手だね。頑張ったねエ」と言って通り過ぎたらしい。この言葉が自信になった様である。
一輪車でもっと遠くまで行こうと・・・・お母さんと二人で旅気分で行った。その余裕ぶりにさらに成長を感じた。
 この手記を読みながら、胎教から育てる事の大変さ、その日々迷いながら進んできた母の苦労が走馬灯に様に蘇ってきた。
この一輪車で学んだ事の一番は、子供が目的を言葉にする。
それが出来れば母はその言葉を信じ、共に目的に向かって全面支援をする。ただ言葉で頑張れと言うだけではダメである。どうすれば出来るようになるかを考える。子供がぶつけてくる言葉を全部受け止めてやる。焦らせない、あきらめない、母の思い通りにしない、程よい距離を保ちながら子供について行く。
子供が自信を持って何事も出来るように成るのは、母親の「全面支援」である事が立証された出来事である。
Kちゃんに「よく頑張りました」と同時に、お母さんのすばらしい子育てに「ご苦労様」と言いたい。

所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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金谷氏今月のメッセージ (平成21年4月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

〔テーマ「不登校と育てなおし」〕

 新学期が始まった。
私のクライアントの子供さんは、登校拒否ぎみで母親と共に登校している。しかし、母親にベッタリしているわけではない。
学校に行けば普通に行動している。ただ、一方的に押し付けられるとあまり進んではやらない。
でも、自分が気に入った事であるならば、一生懸命やる。
それが教師にすれば、わがままに見える。時には強引にやらせようとして泣かせてしまう。
その上、先生は母親に「これでいいのですか?私は子供さんの将来のことを考えると心配です。」と言う。
教育とは、一方的に押し付けるものであろうか?個性はどうして育てていこうとしているのか?
我々には分からない。本当に学校に大切な子供を預けて良いのか?とさえ思う。
 学校は集団生活を学ばなければいけない。学校はその訓練の場と大義名分をかかげ、その実態は皆で同じ事を同じ様に出来る事を目的としてやらせる。
やりたくないとか、出来ないとか言う個人の能力や思いは完全無視。
同じ様に出来なかったり、皆より遅くて遅れるような子は、あたかも障害者の様な扱いをされる。
先生にそれを差別じゃないのかと指摘すると「私は、全員が同じ様に出来るような指導をしているのです。」と。
其れは自分が、「すばらしい先生ですね。」と良い評価を得たいが為にやってるように思える。

 私達は、不登校児の為には母親と共に登校させるという方法をとっている。
事実この方法を行ってみて、よく分かった事は、明らかに障害者と分かる子供は別として、個々に能力もありながら、少しついていけない・性格が内気で消極的な子供を、良い方向に引き上げていく教育方法を学校は持っていないという事実である。
文科省が作ったカリキュラムに基づき、施行しているが、ほとんど現場の教師の主観で対応しているように思う。
だから、自らの私見を語ってしまうのである。
 当研究所では、不登校になれば「学校に行かない」という行動で何かを訴えているのだと受け取る。
ただ単に、学校に行けるようにするだけの目的だけでは行動しない。
学校に行けなくなった原因を、母子関係・家庭環境・親〔祖父母も含め〕のキャラクターなどを分析し、それらが何らかの影響を与えてないか?
学校に行けない。すなわち社会に出て行く事が困難であると言う視点でとらえ、その子の一生の問題と考えてそこに修正をかけるようにしていく。
単なる「行きたくない。」等と言うわがままな理由ではない。本人も分からないのである。
説明のしようがない難しいことなのである。
外部から見ると、意気地が無い・情け無い・怠け者のように見える。
周囲や教師達は、多分この様に見えてる。
だから、本人が「行く」と言うまで待ってほしいと親がお願いしても、熱血先生は朝早く突然迎えに来たりする。
そのことは先生として良い教師と思われるかもしれませんが、子供側にとって・・・親が頼んで来させたのだと思い、先生も親も信用しなくなるという事などは先生側は気付きもしない。
そして子供は、ますます引きこもってしまうという最悪の事態になってしまう。
又、教師は「君はやれば出来るのだ!」等と叱咤激励をしたつもりだろうが、子供はこう思ってしまう。「やれば出来るのに、出来ないのは、ダメな人間なんだ。」と無力感を感じて、落ち込み、何もしなくなる。
唯一自信のあるゲーム、なら出来る体験を持っているから、ゲームのみに打ち込む。
私達はいつも教師に言う。「何かしてくれとはお願いしない。お願いだからじゃまだけはしないでほしい!こちらが何をしているのか説明は都度しますから。」と。
こう言っても、一ヶ月と待たずよけいな親切をしてくれる。
本当の親切は、無理やり学校に来させようとはしないでその子のペースに合わせて、ゆっくり集団の中に入っていけるように見守り支援していく事でしょう。
何故?子供のペースに合わさなければならないのか?
不登校になってしまうのは、
まず主体性を奪われているから。
自主性を育ててもらっていないから。
そしてこれが上手く使えないから
「自我」アイデンティティーが脆弱になり、自ら動くという初歩の行動が出来なくなっているのである。
 朝起きて学校に行くという簡単な事が出来ない。これには「育てなおし」しか方法はない。
そしてそれを母親と共にやっていく事が一番なのである。しかし、これには問題がある。
ずっと母親がそばにいて行動するため、他人は甘えてる・たよりない子供・どう見ても自立させている様には見えない。
母親は信じて行動しているが、どうしても学校や周りの人たちはこの行動だけをみておかしいとか言ってくる。
子供は、どんどん元気になって行くが、積極的に学校へ行く方向にはならない。逆に「行かない」と決めても母親はそれに従ってくれるから堂々と休む。そこで母親はもっと辛い立場に立つ。
積極的には学校に行ってくれない子供を先生は障害者のように扱う。周りは共感してくれない。
孤立無援の状態でやっていかなくてはならない。
でもなんとか学校に行って欲しいという願いから頑張るのだが、周りの目に負けてしまう事もある。
 この方法は,見た目は悪いように見えるが、実は自分の思ったとおり出来て、自分の要求が自由に出せて、自由な行動が出来ることにより、主体性・自主性・自我が育って行き、いつか学校に行くと言う力も出てくると言うことなのです。
人間は、好きな事ならどんなに難しい事でもやっていく、嫌な事はどんな小さな事でもやりたくない。やる気を育てるには、どちらをすれば良いかおのずと分かる。
 文科省は、学校の授業時間を増やしたが、ますます学校が嫌になる。時間を増やすのではなく、何故授業内容を興味引く面白い内容にしようとは思わないのか。
それは、上に立ってる人達が受験地獄を味わってきて、それが当たり前だとマヒしてしまってるから。時間を増すことぐらい平気なのであろう。この付けが悪く回ってこない事を祈るだけである。

所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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金谷氏今月のメッセージ (平成21年3月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

〔テーマ 『欲望』 〕 3/25   

人間には欲望がある。
お金が欲しい『金銭欲』。人の上に立ち、偉い人と思われたい『名誉欲』。
男が女が欲しい『性欲』。好きな食べ物を腹いっぱい食べたい『食欲』。
洋服・バッグ・靴等の物が欲しい『物欲』。などイメージ的には、あまり良いイメージではない。
こういった物を捨てて、禁欲生活をしている人をすばらしい人間だと言う・・・・何か欲望の受け取り方を間違えているのではないか?
人間が金銭欲・物欲・食欲を捨て何も求めないとしたら、世界はたちまち止まってしまう。
欲を禁じているイメージは、仏門に帰依する僧侶であろう。
しかし、浄土真宗の開祖・親鸞は、唯一・恵信尼という妻がいた。そして、肉食を認めた。
禁欲など人間の構造から見ても無理な事である。
ラカンは人間とは何か?の問いに『欲望を語る主体である』と言っている。
 人間は、生まれながらにして生きていく欲望を持っている。それを養育者ならびに養育的環境において、曲げられてしまっている。
いつしか、欲望はいけないものだ!だめなものだ!と刷り込まれていて触れてはいけない・口にしてもいけないと思い込んでいる。
私自身も精神分析を学び自ら分析を受けたことにより、欲望を語らなければ人間らしく生きていけない事に気付いたのである。
生きていく目的は、こうしたい/こうなりたい等と欲望を語りそれを自らが達成していく為に努力する。
それなのにどんどん稼ごうと強欲になり、我を忘れ人への気配り等も忘れ去り、金銭欲・物欲・名誉欲に走ってしまう。それがいけないと言っている。
自分自身は理想としている行き方がある。
『縦入乳虎隊勿践名利路』と言う言葉を残され、これを実践された良寛さんの生き方である。
「縦〔たと〕へ乳虎〔にゅうこ〕の隊〔むれ〕に入るとも、
           名利〔みょうり〕の路〔みち〕を践〔ふむ〕こと勿〔なか〕れ」
~名誉を得るくらいなら、子連れの虎のむれのなかに、身を投じて死ぬ方がよい~
名声・名誉を完全に捨てた言葉である。
良寛さんは、まさにこの言葉通りに行動した人である。
こう言う逸話がある。
ある日、良寛さんの住んでる五合庵に長岡藩主が直接訪ねて来て「寺院も建てて一生面倒を見る」と誘いに来た。しかし、良寛さんは一言も喋らず、静かに筆を取り一枚の紙に「焚くほどは、風がもて来る落ち葉かな」と書いて渡した。
人間はわざわざ求めなくとも生きて行けるだけの物は、自然に手に入るものである。何も欲張らなくても生きて行ける。
受け入れていれば何不自由ない名誉ある地位を得られ、一生安泰の人生が手に入ったであろうに、それを断り自分の思い通りの人生を選んだのである。
まだある、良寛さんが住んでいた五合庵は隙間だらけの雨梅雨がどうにか凌げるほどのボロ家だった。その状況がよく伝わってくる、こんな話もある。
ある日、五合庵に盗人が入った。しかし、見渡す限り盗る物がない。そこで仕方なく布団を一枚盗んでいった。と言う。
本当に良寛さんは何も持たず何も置いて無かった。「嚢中三升米・炉辺一束薪/のうちゅう、さんじょうの米、ろへん、いっそくのたきぎ」
~袋の中には約5kgの米、ろばたにはひとたばのたきぎがあれば生活できる。
欲張らず、生きて行ける最小限度の必需品で暮らしていたのである。

 良寛さんは、人間は欲に絡み取られ、本当の生き方を見失ってしまう事を知っていた。その過剰なまでの欲を捨て、真の欲望のまま生きていけば楽に生きて行けると、身を持って示してくれたのです。
  昨今の世の中は、たかが数万円程度のお金を盗む為に殺人まで犯す人がいる。
我々の人生を託している国会議員達も何をしているのか。金銭欲と名誉欲のかたまりを如実に現し、税金で開いている国会の審議の場で、揚げ足の取り合いをしているに過ぎないのに、真実を明らかにでもした様な錯覚をして得意げになっている議員たちよ!
国民は困っている・苦しんでいる。無欲になり国を安泰に導いてくれ!
国を豊かにすると言う欲望を持った議員さんの出現を祈りたい。

所長  真理攫取

金谷精神療法研究所

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金谷氏今月のメッセージ (平成21年2月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

〔テーマ 心と身体〕   
 人は何故病気になるのだろう?
病気かもしれない。病気であると分かる前に必ず前兆がある。
頭痛・腹痛・めまい・倦怠感・発熱・下痢・嘔吐・咳などで表現する。
全て器官疾患から出てくるサインで、その症状から病気の原因を見つけ治療する。
 しかし、疑問が浮かび上がる。病は一つだけではない。皮膚・内臓・頭部などあらゆるところに病はある。
内臓だけ見ても五臓もある。肝臓・心臓・脾臓・肺臓 全部を病むと言うことはありえない。
その中のどれかを選び、その部分だけで表現する。
例えば、心臓を選んだとする。それは何をもって心臓にしたのか?
それも心臓の病といっても狭心症・心筋梗塞賞・冠状動脈硬化症・心臓弁膜症・心臓喘息・心筋炎・心内膜炎・心不全・肺性心・心臓神経症・心臓肥大などがある。
この中のどれかをどう選んだのか?
ある日突然体調を崩し病院に行ったら、貴方は「狭心症です。」と告げられる。自分では選んだ覚えも決めた覚えもない。
 では何故この病気になったのか?
医者はここが悪いと言う事は言えても、何故この病気になったのかは言ってはくれない。
言えないのである。それは解らないからである。働きすぎとかストレスが溜まった結果として病気になった。じゃ、何故心臓で狭心症なのか?答えは無い!
では病気は何を訴えようとしてるのか?これには意味があるのか。
精神分析では、これに対する答えは有る。
医学とはまったく相容れないもので、理解できない人もいるだろう。
 まず、フロイトの話からいけば、彼は、診療所で働いていた時に不思議な光景を目にした。訪れる患者の中に、明らかに苦痛を訴えながら診療に来る。
しかし検査をしてもどこも悪くない。この不思議な現象に目をつけ、友人の医師にその患者を紹介してもらい研究をした。
その結果、解った事は人間は何か大きな出来事に出会うと、まず感覚で感じ、それを言葉にして現そうとするが、これが言葉にならず表現できなかった時、その感じたものは神経を通して脳に伝達する。
しかし、そこにデーターが無いと、感じた物に一番近い身体の部分に伝える。
そこに表現されたものが病気である。昔から「病は気から」と人間は知っていたのである。
フロイトはこれを「転換ヒステリー」と言う理論を打ちたて世に出した。これは心理的なものを身体に転換し表現するという事である。
 しかし、これはオーストリアの医学界に衝撃を与えたが、誰一人理解する者はおらず、医学界の異端児として扱われ、「ヒステリー」は子宮の叫びと言い女性特有のものであり、男性にヒステリーとは・・と誰も取り合ってくれず一人医師界を去ることになった。
これは百年前の出来であるが、今、尚医学界では認めてもらえない。
脳を出発点として考え、現れた病をどうして治療するかと研究している彼らは、後手にまわっている、それ故に何も無い時にそれを治療する事は出来ない。
検査しても何も無ければ放置してしまう、と今度は本当に器官疾患となり完全に病気として表に出てくる。
 例えば分析は、胃が痛いと訴えた場合一応は病院に行って検査を受けていただく。そこで何も異常がなければ分析の分野である。
分析は、胃という臓器は素直な臓器であり、入ってきたものは自分で選択して排除する事は出来ず、なんでも一生懸命に熟す。
それが異常をきたすと言うことは「NO」といえず何でも「ハイハイ」と言って無理をしていると分析をする。結果「胃炎」と診断された。やはり「言えん」なのである。
臓器それぞれに役目があり、忠実に自らの役割をこなしている。その役割と心理的なものとが一致する事により、そのものを病んで表現し訴えるのである。
分析はそれを心の叫びと捕え、それを言語に変換する事により、表現している事がわかる。分かれば治る。我々は医者ではないので「病気を治す」とは言えない。
 我々はそれを「元に戻す」と言います。
「ガン」等も最初から有ったものはない。伝染病でもない。自ら作ったものである。自分で作ったものであるならば、自分で治す事が出来るはずである。
人間は自然治癒力が備わっている。その原因を知り素直に言葉にして表現していくならば自然に消えてもとの姿になるのである。

金谷精神療法研究所

所長  真理攫取


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金谷氏今月のメッセージ (平成21年1月)

(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のメッセージを私のブログで紹介しているものです。)

〔テーマ 言葉の力〕

人間は言葉を持っていない。理解できない状態で産み出される。
出産直後、自分の周りでは言葉が飛び交っている。「わーかわいいね」「お母さんに似てるかな」「いや、目元なんかお父さんそっくり!」等と勝手にしゃべっている。
しかし、語られている中心は赤ちゃんである自分なのに、そこには当の自分は参加していない。いや出来ない。人間は自分の事は他人が語り自分では語れないと言う証左である。
本人には、周りで語る言葉はただの「音」で、物と物がぶつかる音と同じなのである。
音と言葉が区別できなかったのが、ある時期が来ると雑音と言葉が違う事が分かってくる。繰り返し語りがかけてくる母の口から発せられるものが、規則を帯びた音である事に気付き、その規則性を模倣し、自らも発する。自分が聞こえたように「まーま」と発する。

それを聞いた母は「ママ」と言ったように聞こえしゃべったと思う。それが嬉しくて感喜の表現をする。赤ちゃんはその母の表現が何か分からないが、何か興味を示し、その表現がまた見たくて繰り返し発する。
その相互性により「言葉」を覚えていく。人間は母の模倣から認識能力の発達へ、母からだけはでなく、それ以外のものからも言葉を学ぶようになる。
そして喋れる様になれば、自らの中から湧き上がって来る思いを言葉にし始める。
しかし、そこには養育者や周りの人間に取って都合の悪い言葉だと、自分が良いと思っても却下されてしまう。その却下された意味が分からず、言葉を恐れ語る事をやめてしまう。
言葉は、他者から学ぶ事が身に付いてしまっている為、他者の語り方によってそれを学んでしまう。
例えば、両親が無口で語らなければ子供は静かで語らない子供になり、乱暴な言葉遣いをすれば、子供の言葉は汚くなる。また、間違った言葉を教えれば間違った言葉遣いになり、いい加減な言葉遣いをされれば、はっきりと明確な言葉遣いが出来なくなる。

精神分析を学び、インテグレーターになった事でよかったと思えることは、的確に、より短く人に伝える事が、出来るようになったことである。
「私は常識に捕われません」と言い切ったら
「それは貴方、いけないのではありませんか?」と必ず返ってくる。
「何故いけないのですか?」と問うと
「皆んなそうしているではありませんか」と返ってくる。
「皆んなとは、どなたの事ですか?どなたと同じ様にされているのですか?」と
問いかけた時点から「それは屁理屈でしょ」と怒る。
「へー、私が言っているのは屁理屈ですか?屁理屈とはおならの理屈と書くんですよね。」
相手は余計に意味が分からなくなり、
しかたなく「では常識とは何でしょうか?誰が作ったものですか?」と質問したら、
困惑し怒り出してその場から逃げ出してしまう。
私が言っているのが屁理屈ではなく、何処にどうしてあるのかわからない常識の方が屁のようではないのか。
我が恩師は、最初に私にこう言った。「言葉で説明出来ないものは何もありません。全て言葉で説明で来ます。」と。その通りで、20年間付き合っていますが私の質問に一度も答えてくれなかった事は無い。何時も明確な言語で納得いくように。
自らに問いかけて答えが出ないまま苦しんでいる人達が、その状態を「病」と錯覚して悩んでいる。私のクライアントとして來所される人達はこうした人達ばかりです。

言葉の持つ力で痛めつけられ、完膚なきまでに壊されてしまっている。
その言葉の持つ力を間違って使ったが故に、病んでしまっているならばその力を有効的に使えば良くなる。というのが、分析の考えである。
まさにその通りで、母親が正しい言語を使えば5歳にして的確な言語を使う。これがいつも感動する。大人が恥ずかしくなるほどである。
そこで言語表現のすばらしい例をあげてみたい。
一つは以前にここで述べたと思うが「石川遼君」である。過日スマップの番組に出演しメンバー5人の質問に17才の高校生とは思えないしっかりとしたコメントをし、スマップ全員が感心していた。
遼君の目標はタイガーウッズで、世界を相手にゴルフがしたいと言う夢をしっかり語っていた。中でも感心したのは彼は予選落ちをよくする。でもその事を聞かれた時、さぞがっかりして落ち込むのかと思いきやそうではなく、それが自分の実力だから当たりまえだと言う。

優勝は出来すぎで、それが当たり前だと思ってしまうと勘違いして傲慢になってしまうからと。すばらしい人間である。
もう一つは1月20日・アメリカの第44代大統領に就任したバラク・フセイン・オバマ氏である。黒人と言う人種の壁を乗り越えて、大統領にまで上り詰めた「アメリカンドリーム」を体現した。選挙運動では多くの名演説を繰り広げながら勝利した。その演説は故ケネディ大統領の再来かと言われたほどである。

彼は言う。「YES、We Can!」我々は出来る!
出来たらいいなあ・出来るかな?ではない。確定語「出来る」である。
言葉は人を殺してしまう事がある。しかし、言葉は人を生かし人を幸せにも出来るのである。

金谷精神療法研究所

所長  真理攫取


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